野中神社

ビルに囲まれた不思議空間

サンモール一番町の南側、入り口に大きな提灯(ちょうちん)が下がっている横丁を西に入り、鳥居をくぐって小径をおくにすすむと野中神社があります。
今でこそ路地の奥にひっそりたたずむ野中神社ですが、もともと起こりは今から400年前、仙台藩主伊達政宗公による仙台開府の際に町割りを決めた縄を埋めてまつった場所であったと伝えられています。

現在の社殿は、昭和63年に再建したもので、縄にちなんで縁結びと商売繁昌の神として崇拝されてます。 毎年7月下旬には、えびす神社・和霊神社と一緒に三社まつりが盛大に行われ、商店街をみこしが練り歩きます。

商売と縁結びの神様

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伊達政宗公ゆかりの地

慶長5年(1600年)は天下分け目の戦いで知られる関ヶ原の合戦のあった年ですが、この時、徳川方について重要な作戦を受け持った伊達政宗公は、その戦功によって新たに刈田郡を加増され、この年岩出山から城を千代(せんだい)に移すことになりました。慶長5年も暮れようとする12月24日(今のこよみでは1月下旬)に政宗公は青葉ヶ崎に登って築城の縄張をおこない、「千代」の地名を「仙臺(仙台)」の文字に改めました。今から400年前、政宗公が34才の時のことです。
かくして城普請と城下建設の工事は、あくる慶長6年(1601年)正月11日(今のこよみでは2月上旬)を吉辰として縄張始の式をあげ、同時に始められました。城下建設の方は川島豊前景泰と金森内膳を正副の総監督とし、あらかじめ設計された絵図に従って町割が進められ、早くも1月末には完了しました。家臣と町人が希望に胸をふくらませて岩出山から新興都市仙台に引き移ったのは慶長6年とも同7年ともいいますが、産声をあげた時の仙台の戸数は1万8百、人口5万2千と記録され、全国屈指の大城下町と呼べる都市でした。
野中神社のあるところは城下建設にあたって、政宗公が城下の中心点と定めたところであると言われ、町割の縄張に使った縄を集めて土中に埋め、その上に野中神社を祀ったと言い伝えられています。旧暦6月24日が祭礼とされ、仙台のにぎやかな夏祭りのひとつでしたが、今は三社まつりとして毎年7月下旬に一番町をあげての盛大なおまつりが行われています。